【コンプレックス】と【劣等感】は別物です。人間は誰しもコンプレックスをもっているもの。そしてコンプレックスは解消しません。大事なのは【自我】と【コンプレックス】が今どういう関係にあるのかということなのです。

標題についてお話する前に、出てきたワード【自我】について考えてみたいと思います。
【自我】が形成されるとか、【自我】をもつとか聞くこともあるかと思いますが、【自我】っていったい何なのでしょうか?

人間は、生まれてから徐々に外界の知覚が可能になります。そして成長に伴い、知覚されたものは「猫」とか「犬」といった【言語】によって表現され、猫という概念や、犬という概念を作りあげて、記憶の中に組み入れられていきます。
この仕組みは【感情】についても同じです。
人間は生まれたときから「快不快」といった【感情】を経験しますが、成長に伴って快不快以外の様々な感情も経験していきます。経験した【感情】は、「喜び」「怒り」「哀しみ」「楽しみ」というようにだんだんと言語化されて、記憶の中に組み入れられていきます。
また、記憶の中に組み入れられた概念や感情の関係付けを【思考】が行っています。例えば「犬と散歩すると楽しい」。これは【犬】【散歩】【楽しい】といった概念と感情を、思考で結び付けているということです。

これら一連の動きを行っている主体となるもの、その動きの中心にあるものが【自我】です。
またこのように、何かを経験したり、その経験に判断を下したり、それを自分の記憶の中に組み入れたりすることを【意識する】ともいいます。ですから【自我】は【意識の中心にある】ともいえます。

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では【コンプレックス】とはいったい何なのでしょうか?
コンプレックスは、何らかの【感情】によって結合されている心的内容の複合体であり【意識】ではなく【無意識】の中に存在しています。そして、私たちの自我の活動を妨害してきます。

これはどういうことか、一例をあげてみましょう。
「人前に出ると勝手に顔が赤くなる」という現象があります。
この人は、本人の意志で「顔を赤くしよう」としてやっている訳ではありません。つまり、意識の中心にある【自我】がやっている訳ではないということです。
「じゃあ、本人の意志に反して顔を赤くさせているのは誰なの?」
と考えた時に出てくるのが、無意識の中にある【コンプレックス】の存在です。

ここで大事なのは、自我とコンプレックスがいまどういう関係にあるかです。
顔が赤くなるだけで本人が特別困っていないのであれば、問題にはなりません。問題になるのは、コンプレックスの力が大きくなり過ぎて、自我を脅かし始めたときです。
「自らの意志や判断に基づいて、自らの責任のもとで行動しようとする自我の性質」
を、コンプレックスが大きくなり過ぎて脅かし始めると、メンタル不調を起こしたり、人間関係に影響を与えたりします。

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さて、コンプレックスには様々なものがありますが、その中のひとつに【劣等感コンプレックス】があります。よく、【コンプレックス】と【劣等感】は同じように扱われがちですが、実は両者は違うものです。

まず、
「自分が何かについて劣等であることを、認めていること。」
これを【劣等感】といいます。
例えば、学校の運動会ではリレーという種目がありますね。
「走るのが遅いから」という理由でリレーの選手にはなれないけれど、他のリレー選手を一生懸命応援したり楽しんだりしている子は「私は走ることについて劣等」だと認めている状態です。この子は【劣等感】はもっていますが【コンプレックス】はもっていません。

走るのが遅いのにリレー選手になりたがったり、走るのが早い子にいちゃもんをつけたり、リレーという種目自体に文句を言ったりする子が【コンプレックス】を持っている子です。【劣等感コンプレックス】ですね。これは実は「私は走ることについて劣等だと認めていない」状態です。
コンプレックスとは前述したように
「【感情】によって結合されている心的内容の複合体」
ですので、そこに【感情】が絡まっていなくてはコンプレックスとは言えません。【劣等感コンプレックス】に特徴的なのは【優越感】という感情が微妙に混じっていることです。このケースでいう【優越感】とは
「走るのが早いからって何なの?バカみたい。」
「私だって練習すれば早く走れるわよ。」
というような気持ちです。

さらに、この【劣等感コンプレックス】から派生するコンプレックスがあります。それは
【メサイヤコンプレックス】です。メサイヤコンプレックスの特徴は「他人を救いたがる傾向が強い」ということ。必要以上に「他人のために」と頑張り過ぎてしまうのです。
カウンセリングをしていると、自分自身の不調を顧みずに
「私もカウンセラーになって、私と同じように悩んでいる人たちを救いたいです!」
というクライエントにたくさんお会いします。そのお気持ちはとても良いことですが、
「まずは、自分自身を見つめ直すことから始めてみませんか?」
とお勧めしています。なぜなら、他人を救おうとするその裏に、大きな劣等感コンプレックスを抱えていて、その人の自我を脅かしている場合が多々あるからです。

他にも、兄弟間の強い敵対感情を【カインコンプレックス】といい、母親に対する強い愛着と父親に対する敵対心を【エディプスコンプレックス】というなど、様々なコンプレックスがあります。そしてその様々なコンプレックスが絡まり合って、無意識の中に存在しています。

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話を元に戻しましょう。
【自我】と【コンプレックス】は分かった。では両者の関係性がどうあれば良いのかといいますと「自我が、コンプレックスを拒否したり避けたり抑えつけたりするのではなく、コンプレックスを認めて同化させている状態」であること。これを【自我とコンプレックスの統合】とも言います。
「走るのが遅いから」という理由でリレーの選手にはなれないけれど、他のリレー選手を一生懸命応援したり楽しんだりしている子。まさにこの子のような状態です。自我とコンプレックスの統合は人格の発展に繋がるので、とても大事です。そのためにまずは必要なのは「自我がコンプレックスと対決すること」。

では【自我とコンプレックスの対決】とは、どういうことでしょうか?
コンプレックスの力が強くなってきたとき「そのコンプレックスに応えるかのような出来事が、自分の周りで起こる」ということがよくあります。もしくは、ある特徴的な出来事が自分の周りで起こるとき、それに呼応するコンプレックスがこころの中で大きくなっている、とみます。

ある女性のケースを一例としてあげてみましょう。
彼女は、彼氏がちょっとでも他の女性と仲良く話をしていると嫉妬したり、連絡が少ないと不安になってあらぬ疑いを掛けたりして「他の女と仲良くしないで!」「なんで連絡してくれなの?」「浮気してるんじゃない?!」といった喧嘩が絶えず、とうとう彼氏から振られてしまいました。
実はこの女性は、父親に対して強いエディプスコンプレックスを抱えていました。そこに絡んでいた感情は「私は父親に愛されていない」という【哀しみ】と【不安】と【怒り】です。ですが、そのコンプレックスをダメだと思っていたり見ないふりをしたりしていると、呼応して外側の世界で「私は愛されていない」と感じるような出来事が起こってくるのです。彼氏が他の女性と仲良く話しているのを見たり、彼氏が連絡をしてくれないといったような。

このように
「ある人のコンプレックスと、その人の外側の出来事は、お互いに呼応し合って通じている。」
という事が多々あります。なのに私たちは、つい外側の出来事ばかりを攻撃したり、運が悪いと嘆いたりしてしまいます。だけど自分の内側に向かってしっかり目を開くと、自分の心に存在するコンプレックスに気付きます。そして、
「このコンプレックスが、自分の周囲で起こった出来事にどう呼応しているのだろうか?」と、その意味を知ること。これが【自我とコンプレックスとの対決】です。

これは「何もかもぜんぶ私が悪いんです…」というような、反省をしろと言っているのではありません。コンプレックスと対決したら、次に【自我とコンプレックスの統合】というステップが待っていますが、自分の内側と外側は呼応していますので【自我とコンプレックスの対決】に呼応して、恋人との対決であったり、親子の対決であったり、夫婦の対決であったり、上司部下との対決といったようなものが、自分の周囲で起こるかもしれません。

ただその時に、コンプレックスと外側の出来事の繋がりの意味を知っていれば、相手を攻撃するばかりというような【単なるコンプレックスの爆発】という事態にはなりません。素直な対話が相手と出来るようになり、ひいては【自我とコンプレックスの統合】に向かうことが出来るようになるのです。

いま、なにがしかの問題を抱えているあなた。
もしかしたら、あなたのコンプレックスに対決を迫られ「逃げずに正面から向かってこい!」と言われているのかもしれませんよ。

参考文献:コンプレックス 河合隼雄 著

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