努力は報われるという考えが自分を追い詰める事だってあるのです
人間ごときが『努力すればどんな問題でも解決する』だなんて、なんておこがましい考えなんだろう
人間は、常に頭の中で何かを考えています。
毎日毎日色んなことを考え過ぎて頭が疲れ、そしてこころも疲れます。
だからって「考えるのを止める」のはなかなか難しいです。
試しに皆さんもちょっとやってみてください。5分間、何も考えない。
…どうでしょうか?
考えないようにしようと思えば思うほど、頭の中に次から次へと考えが浮かんでくるでしょう?それだけ人間は考える生き物だということです。
私は海の近くに住んでいます。
時間を見つけては海までウォーキングをして裸足になり、砂浜に座って瞑想をします。長い時は1時間ほど。そうやって考えるのを止めて、頭を休ませる時間を意識して作るのです。
素足に感じる砂の感触
終わりない波の音
果てしない水平線
頬をなでる海風
潮のうねり
鳥
てんとう虫
雲
空
太陽
「ああ、私は宇宙に生かされてるんだなあ。」
って感じる時間です。
人間なんて、この広大な宇宙の中のほんの一部の生き物。だから、人間がどんなに頑張っても頑張っても、どうにもならない問題が山ほどある。それが当たり前。ストンと腑に落ちます。そしてこう思います。
「人間ごときが『努力すればどんな問題でも解決する』だなんて、なんておこがましい考えなんだろう。」
「努力すれば必ず解決する」「努力は必ず報われる」というポリシーが悪い訳ではありません。努力は素晴らしい。ですが「努力が全て」としてしまうと、どんなに頑張っても問題が解決しない場合、
「自分の努力が足りないからだ。」
「自分は何をしてもダメなんだ。」
と、どんどん自分を責めて追い詰める、ということが起こり得ます。
そして、自分の価値を感じられなくなったり、自己肯定感がダダ下がりになってしまったりします。そうすると、どんどんこころが辛くなっていきますね。
人間はこころが辛くなると、こころが壊れるのを防ぐために周囲を攻撃したくなるものです。なので、
「あいつが悪いからこうなったんだ。」
「社会が悪いからこうなったんだ。」
「周りの環境が悪いからこうなったんだ。」
と、自分の周囲を責めたり、
「運が悪いからだ。」
「前世で何か悪いことをしたに違いない。」
と、新興宗教や占いにはまり、身を持ち崩してしまう人が出てきたりします。
では、一切、何の努力もしなければ良いのか?
というと、それもまた難しいことです。これも皆さん試しにやってみてください。日々、全く何の努力もせずにただそこに有る。これはこれで不安になるし「ほんとにこれで良いんだろうか?」と、そわそわグルグル色んなことを考えて、疲れる原因になってしまいます。
だったら、中間の立ち位置を取れば良いのです。
私たち人間が存在するこの宇宙には、人智の及ばないことの方が多い。非科学的で、超越的で、神聖なもの。「問題の解決」もそのひとつ。それは、自分の努力次第で手に入るか入らないかが決まるものでは無く、宇宙の采配で与えられるもの。人間の手の及ぶところではないし、そこに良いも悪いもありません。
「どうなるかは分からないけど、何もしないのもしんどいから、まあ努力してみるわ。それで解決したらラッキー。」
ぐらいのスタンスで居るのが、丁度良いのではないかと思います。