恋愛が始まることを【関係が始まる】と言い、付き合いが長くなって相手を深く知ることを【関係が深まる】と言いますが、実は、恋愛が始まったからって関係は始まっていないし、相手を知ったからって関係が深まってもいないのです。

誰かに恋をしてお付き合いが始まると、嬉しくて楽しくてキラキラ輝いて、
「一番楽しい時期だね。」
「恋が始まったんだね。」
と周囲に言われることもありますね。
このように、恋愛が始まることを【関係が始まる】と言い、付き合いが長くなり相手を知ることを【関係が深まる】と言いますが、実は、恋愛が始まったからって関係は始まっていないし、長く付き合って相手を知ったからって関係が深まっている訳でもありません。

恋愛が始まった最初のうちって、自分のこころの中の異性の理想像(男性にとってのアニマ、女性にとってのアニムス)を、勝手に相手に投影していたり、自分の親の姿と相手の姿をごっちゃにしていたりします。
また、自分が意識していない問題(コンプレックスともいいます)が、自我の制御を超えて相手に強く反応してしまっていることもあります。
これらは、こころの深い部分がぐらんぐらんと働き活性化していて、逆に理性的な判断力は弱まっている状態です。

こういう状態では相手の姿がちゃんと見えないので、本当の【関係が始まった】とは言えません。とはいえ、この時期が悪い訳ではなく、ここを経験することが恋愛の醍醐味であり、しかもこの経験が後で非常に重要となってきます。

さて、恋愛初期のこころの深い部分がぐらんぐらんと活性化している時期(人によって数か月だったり数年だったりします)が落ち着いてくると、それまでお休みしていた理性的判断力が働き始めます。ここで
「なんか思っていた相手と違ったな。」
「この関係、なんかめんどくさいな。」
「この人に騙されたな。」
なんて思って終わりにしてしまうと、やはり関係は始まりません(ここまできても、まだ関係は始まっていないのです)。

実は、ここからの努力が関係作りの始まりとなります。
努力というのは、相手に向かっての努力ではなく、自分自身に向かっての努力のことです。これは、自分のこころの深い部分を探り、それを知ろうとする努力のことです。

・こころの深い部分がぐらんぐらんと活性化していた時期から今までの中で、相手との間でどんなことが起こったのか。
・その起こった事実から、自分のこころの奥深くに存在する何が見えてくるのか。
・その存在を自分はどう捉えるのか。

はい、これらの作業に取り掛かって、ようやく【関係が始まった】と言います。
つまり【関係が始まる】とは【意識している自分と、こころの奥深くに居る自分との関係が始まる】ということ。これらの作業は、何より自我の決意と努力が必要だし、時間も手間も掛かるのでとてもしんどいです。ですが、そこを自我が頑張って、自分のこころの奥深くに降りていくほど【関係は深まる】のです。

これが出来ていれば、たとえパートナーと別れるという選択をしたとしても、強い孤独感で死にたくなったり、落ち込んだり、引きずったり、執着したり、自分を責めたり、相手を責めたりする期間は短くて済みます。なぜなら、自分と自分のこころの深い部分の関係はしっかり繋がっていて、しかもその関係は深まっているので、だんだんと
「私は1人じゃない。だって、心の奥のもうひとりの私と繋がっているから大丈夫!」
って思えるようになるからです。そうすると「私は1人で居るけれど、実は2人一緒」という意識で、楽しんで生きていけるようになります。

また、パートナーと2人で生きる選択をしたとしても【自分との関係を始めて自分との関係を深める】作業をやっていれば、精神的に自立した状態にもっていくことができます。
他のコラムでも書きましたが、パートナーシップで大事なのは【相互依存】の状態であることでしたね。相互依存とは「1人で生きていける強さを持つ者同士」=「自立した者同士」が、お互いの長所を活かして短所を補い合い協力し合うことでした。
つまり「私たちは2人で居るけれど、実は1人でも大丈夫」という意識で生きていけるようになり、相互依存の状態を作れるのです。

1人で生きていても2人で生きていても【自分との関係を始めて自分との関係を深める】作業は大切だということです。

参考文献:こころの処方箋 河合隼雄 著

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