度が過ぎた完璧主義~強迫性パーソナリティ障害~
強迫性パーソナリティ障害の人は、仕事でもプライベートでも【義務と責任】を大切にするきちんとした人です。
「人は努力するのが当然だ」という信念を持っていて、とても努力家です。勉強も、仕事も、スポーツも、遊びも、恋愛も、子育ても、全てのことを自分の理想通りに完璧にやりこなさないと気が済まず、その自分の理想に向かって努力し続けます。ミスを犯すことは悪であり、自分のやり方にこだわり、他人の価値観を認めることが苦手です。
本人がそれで幸せだったらいいのですが…
ではそんな人生を楽しめているのかというと、決してそんな事はありません。楽しみのためにやっているのではなく、義務を果たすためにやっているのです。その生き方はもはや苦行とも言えるもので、ですが本人はそれに気付いていません。
困るのは、そんな苦行とも言える生き方を、自分だけでなく周囲の人にも求めてしまう点です。
例えば、強迫性パーソナリティ障害の人に子どもがいる場合。子どもは親が用意した1日のメニューを、次から次にこなすことを求められ、いつも追い立てられるように暮らすことになります。また、強迫性パーソナリティ障害の親は、努力を当然のことと思っているので、子どもが怠けると叱る割には、子どもが頑張ったことを褒めません。
毎日親から追い立てられ、少しでも休むとひどく叱られ、楽しむことを許されず、どんなに頑張っても褒められない。
そうすると子どもは「生きることはひどく苦しいことである」という価値観を持ってしまい、生きることに楽しみを見出せなくなります。子ども自身がよっぽどタフでない限り、こころのバランスを崩してしまうのは想像に難くありません。
このように、強迫性パーソナリティ障害の人は【努力こそがすべて、努力は報われる】という信念を持っています。ですが、この子どものケースのように、人と人との関わりの中では努力が通用しない場面だって出てきます。ですが、努力こそがすべてだと思っている彼らは、子どもがなぜこころのバランスを崩してしまったのか、なかなか理解出来ません。「自分はこんなに頑張ってきたのに、努力は報われるはずなのに、どうしてこうなるんだ?」となってしまうのです。
どう接すれば良いのでしょうか?
「どこからどこまでがあなたの役割で、どこからどこまでが私の役割なのか」
「どこからどこまでがあなたの責任で、どこからどこまでが私の責任なのか」
「どこからどこまでがあなたの範囲で、どこからどこまでが私の範囲なのか」
などの役割分担をきちんと決めることです。そうすると「自分のやり方で周囲を支配したい」という彼らの思いが、どこまでも際限なく広がることを防げます。また、自分の領域、そこだけを完璧にすることに力を注ぐことが出来るので、彼らも安心します。
また、人生の選択肢はひとつではなく山ほどあること、それでなければならないことなんてどこにも無いこと、何がベストな方法かなんて誰にも分からないし、どんなやり方であれ良い点も悪い点もあること、などを、常々アドバイスしてあげるのも大事です。
もしかして自分が「強迫性パーソナリティ障害かも?」と思ったら
とにかく休むことが苦手で、のんびりすることが出来ません。休んで楽しむよりも「計画通りにこなしているか」の方が大事なのです。結果、いつのまにかストレスを自分に強いて、うつ病や心身症などの病気になってしまう場合もあります。
仕事でも、やたら動き回る人ばかりが良い仕事をしてるかといったら、そうでもないでしょう?仕事が出来る人は、全体の流れをみて動く時と休む時のバランスを上手く取っています。【休むのも仕事のうち】と自分に言い聞かせて、上手に力を抜くことを覚えて下さい。
そして「努力が報われることもあるし、報われないこともある」と、受け入れていきましょう。
そもそもこの世の中は完璧ではなく、色んな人や物事が雑多に入り混じり混沌としていることを、あなた自身もよく分かっているはず。そんな中を、それぞれが自分なりのやり方で試行錯誤しながら、自分の人生を自分らしく生きていくのです。それこそが人生です。それはあなたの子どもでも同じこと。あなたの生き方をすべてとして、周囲のみんなの人生をひとくくりにしようとするのは、ハナから不可能なのです。
参考文献
【知ることからはじめよう みんなのメンタルヘルス】厚生労働省
【パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか】岡田尊司 著