他人の人生を生きている人~依存性パーソナリティ障害~

叱る

過保護な親から溺愛されて育ったけれど、ただお人形のさんように可愛がられるだけで、私の本当の気持ちを受け止めて貰えなかった。私はただ、黙ってそこに居ればよかった。

支配の強い親のもとで、親の顔色を窺いながら、親の言いなりになって育った。私の気持ちを言うなんて、決して許されなかった。

そうやって自分の気持ちを言えずにずっと我慢しているうちに「私は本当はどうしたいのか」が、自分でも分からなくなってしまう場合があります。そうすると、普段の生活の中の些細な選択、例えば「今日はどんな服を着ようかな」とか「ランチに何を食べようかな」といったような事も、自分の意志で決められず、親やパートナーや友人に頼ってしまいます。

これが日常のちょっとした決め事ならまだ良いのですが、依存性パーソナリティ障害の人は、進路や結婚といった自分自身の人生の大事な局面においても、周囲の意見に合わせて決めてしまいます。自分の考えで人生を選択し、自分の意志で人生を歩いていくというような【自分の軸】を放棄して【他人の軸】を採用し、他人の人生を生きてしまっているのです。

ひとりで居るのがとても苦手

こんな彼らですから、ひとりで居るのがとても苦手です。自分を支えてくれる誰かと常に一緒に居ないと、不安で仕方ありません。必然的に、パートナー選びの基準が「誰でもいいから自分に優しくしてくれる人」というように甘くなってしまい、DV・モラハラ・遊び人といったような、最初は優しいけれど、関係が深まるにつれ自分を傷付けるようになる相手を、選んでしまったりします。

No!と言えない

最初は優しかったパートナーが自分を傷付けるようになり「選ぶ相手を間違えた!」と気付いたとしても、依存性パーソナリティ障害の人は、自分の意志で自分から関係を断ち切ることが出来ません。No!と言えないのです。それは「誰かに頼らないと生きていけない」「ひとりでは生きていけない」という価値観を刷り込まれて育っているが故に、
「相手を拒否すると見放されてしまう」
「相手を拒否すると嫌われてしまう」
というような、恐怖心が沸き上がるからです。薬物やアルコール、カルトや新興宗教にも依存しやすく、なかなかそこから抜け出せないのも特徴です。

もしかして自分が「依存性パーソナリティ障害かも?」と思ったら

子どもの頃、どうしてあなたは親の支配を受け入れてきたんでしょうか?
それは【親を愛していたから】です。愛していたから「親が幸せであること」を何よりも大切だと考えて、自分の気持ちを押し殺してきたのです。そこにはあなたの優しさと揺るぎない愛があることを、まずは受け入れていきましょう。

また、ずっと押し殺されてきたあなたの気持ちの裏には、怒りと悲しみが隠れています。その怒りと悲しみを癒していく過程も、とても大切です。これはひとりでやるのは難しいので、カウンセラーと一緒に取り組んで下さい。
怒りと悲しみが癒されてきたら、他人の人生ではない、あなたの人生を取り戻していきましょう。あなたの中心を貫いている【他人の軸】をすっぽり抜いて捨てて、代わりに【自分の軸】をしっかり建ててていくのです。

例えば会話をする時には「私が」「私は」というように、意識して【私】という主語をハッキリ口に出して、話をしましょう。「私は買物に行ってくるね」「それ私が食べたいな」という風に。
ものごとを考える時も同じです。【私】という主語を明確にして思考するのです。「私はとても悲しい」「私はどうしたい?」という風に。

これらはちょっとした行動・ちょっとした考え方かもしれません。ですが、今までのあなたの考え方や行動とは、確実に違うものです。結局は、自分が望むようになっていくのが人生です。あなたが「私は私の人生を歩く!」と望み、そう決めたのであれば、この小さな変化を毎日積み重ねることが出来るでしょう。そして、その小さな変化の積み重ねが、人生を大きく変えていくのです。

参考文献
【知ることからはじめよう みんなのメンタルヘルス】厚生労働省
【パーソナリティ障害】岡田尊司 著

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