己の世界を究める人~シゾイドパーソナリティ障害~

何よりも孤独を愛す

「本当は他人との繋がりを求めているのに、傷付くのが怖くて他人との繋がりを避けている」のが回避性パーソナリティ障害ですが、「もともと孤独が好き」なのがシゾイドパーソナリティ障害です。

彼らは、たとえそれが家族であっても、人と親密な関係を持ちたいと思いません。それは異性に対しても同様で、お付き合いするとか、結婚するとか、そういうことにあまり興味がありません。他人と繋がって自分の世界に入ってこられるよりも、自分の世界を守ることの方が大事なのです。親しい友人や信頼できる友人も居ませんし、いつも孤立していますが、そんな自分を他人からどう評価されようが、それもどうでも良いと思っています。

彼らからは、冷たさや、よそよそしさや、喜怒哀楽が感じられないといった平坦な印象を受けますが、それはシゾイドパーソナリティ障害の【欲が乏しい】という特徴からくるものです。「お金が欲しい」「出世したい」「美味しいものを食べたい」といったような物質的な面だけでなく、性欲のような肉体的な面にも表れます。他人と肉体的に愛し合うことに違和感や罪悪感を覚える人が多いのも特徴です。

僧侶

俗世から離れて、静かに、淡々と生きている彼ら

「感情がない」「何を考えているか分からない」「無口」「友達がいない」
と批判されがちですが、その内面はとても豊かで繊細です。精神世界が豊かで繊細だから、ごくわずかな感情の揺らぎにも敏感に反応し、崩れてしまいます。ですから、他人に対して壁を作ることで自分を守っているのです。彼らが守っているその孤独な場所は、誰にも立ち入って欲しくない聖域なので、不用意に他人に近付かれるとまるで無理やり侵入されるような恐怖を感じてしまいます。ことに恋愛関係というものは、より親密な人間関係を築くものなので、関係が深まるにつれて自分の聖域を侵略されてしまうような気持ちになり、冷めていってしまう場合もあります。

「それの何がいけないの?」

シゾイドパーソナリティ障害の方の性質が、社会生活に支障をきたすのであれば、受診やカウンセリングなどの何らかの対応が必要かもしれません。ですが彼らには【パーソナリティ障害】と診断される状況を補って余りある、素晴らしい性質を沢山持っているように、私は感じます。
「それの何がいけないの?」
「いけないと思っているのは周囲の人たちなんじゃないの?」
と思うのです。

確かに、人付き合いが嫌いで生涯独身である場合も多々あります。ですが、シゾイドパーソナリティ障害の人が持つ、精神世界の繊細さと豊かさは、宗教や芸術的なものに対する感性の高さ、超然とした立ち位置から見える独特の世界観、物事を深く広く考える力を生み出します。また、感情の起伏が少ないことは、何年にも渡って一定してこつこつと物事を進めていく、という才能を持っているということです。

それらの素晴らしい特性を活かせる職業やライフスタイルを選んで、生きていけば良いのです。例えば、精神世界を追求する僧侶や学者。感性が求められるアーティスト。孤独に取り組むことが出来る農業やプログラマー。その他にも沢山あります。彼らの特性とその特性に合った仕事が組み合わさることで、偉業を成し遂げる可能性もあります。誰もが持ちうるものではありません。

【誰もが持ち得る訳ではない特性を、彼らは神様から貰って生まれてきた。何故なら彼らには、この世で成し遂げなきゃいけない使命があるから】
私にはそう思えてなりません。



参考文献
【知ることからはじめよう みんなのメンタルヘルス】厚生労働省
【パーソナリティ障害】岡田尊司 著

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