普通になりたい~はたして本当に普通が一番良いのか?~

世の中には
「生きるエネルギーがとてつもなく大きい」
という人がいます。美人とかイケメンというよりも、何となく華があるとか、そこに居るだけで目を惹くとか、女性男性限らず色っぽいとか、オーラがあるとか、なぜか存在が気になるとか、そういう人たちです。これ!といった定義は無いけれど、何となく分かりますよね。

こういう人って、小さい頃から良くも悪くも目立ちます。
ただ、日本では周囲との和を尊ぶことや、場の空気を読むことや、他人を嫌な気持ちにさせないことや、他人に迷惑を掛けないことを良しとして、目立たないように、みんなと同じであるように、親からそういう育てられ方をする場合が多いので(親もまた、その親からそういう価値観を刷り込まれて育てられた訳ですが)、子どもは「目立つこと」を「悪いこと」として認識してしまいます。

また子どもは、悪者のイメージを自分の中で作ってそれを批判することで、その子なりの「社会の中での価値意識」というものを作っていきます。これが自我の一端となります。
その時に、具体的な悪者が目の前に居ると、とても批判しやすいので「自分が悪いと思っている性質を持つ子ども『目立つ子』を攻撃する」ということが起きます。これも「投影」のひとつですし、子どものいじめの一要因でもあります。

投影は、子どもが自我を形成する過程で必要なプロセスです。だからこのややこしいメカニズムが人間のこころの中に組み込まれているのですが、とはいえ、いじめをやっている本人には必要なプロセスでも、やられる方はたまったものではありませんね。

ちなみにこの「目立つ子」というのは、勉強やスポーツが出来て華やかで目立つということだけではなく、例えばおとなしくてずっとひとり教室で本を読んでいて目立つとか、誰とも群れないでいつもひとりで居て目立つとか、身体が大きくて、逆に小さくて目立つとか、そういう「目立つ」も含まれます。

だけど本来、目立つことってその人らしさであって、他の人には無い最大の長所なんです。なのに、本人は周囲から散々叩かれてきたものだから、目立つことを「悪い性質」だと捉えて、せっかくの長所を隠して生きてしまいます。それが
「普通になりたい」
「普通が一番」
という言動になるんです。

だけどそれで幸せですか?
人はそこに居るだけでエネルギーを放っています。そのエネルギーがとてつもなく大きいということは、隠そうとしたって隠せるわけがありません。どうしても溢れ出てしまうんです。そうすると、自分ではそのつもりはなくても、どこに行っても「出る杭は打たれる」という状況に陥りがち。
いま、生き辛いなと感じている方。もしかしたら「普通になりたい」がために、自分の最大の長所を殺して生きているからではないですか?
だったら「普通であること」を諦めて、本来の自分に戻りましょう。本来のあなたは、生きるエネルギーがとてつもなく大きいという、素晴らしい性質を持って生まれてきたんです。誰もが持てるものではありません。もっと自分を解き放って、目立って目立って目立って出きったら良いのです。そうすると「出過ぎた杭は打たれない」という状況になり、もっと自分らしく生きていけるのです。そういう人たちを「カリスマ」といいます。

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