ときには【流れに身を任せる】ことが、あなたのこころを守ります

問題や悩みを抱えてカウンセリングにいらっしゃる相談者には、対話を重ねながらカウンセラーも一緒に相談者のこころの奥に降りていき、ああでもない、こうでもないと2人で悩みながら、その人らしい解決に向かう光を見つけては見失い、そしてまた見つけては見失い、それを何回も繰り返します。

そうやっていつか、解決への光を相談者がそっと掴んで浮上してこれるように、2人で一緒に頑張っていくのですが、必ずといっていいほど問題として出てくるのが、相談者と養育者との関係性です。養育者とは多くは親です。

例えばあなたが、恋愛問題や仕事問題や家族問題を抱えてカウンセリングにいらっしゃったとします。表面に見えている問題が何であろうが、
「なぜいま、この問題があなたに起こっているのか?」
という点を突き詰めていくと、養育者との関係が悪かったり、逆に良過ぎて飲み込まれてしまっていたりといったような、
「そもそもあなたはどうやって育てられたのか?」
という点に、問題の根っこがある場合が多いのです。

だからといって、
「そうか、私がいまこんなに悩んでいるのは親が悪いんだ!」
と、簡単に決めつけられるようなものではありません。なぜなら、親もまた数年前までは子どもであり、親の親(あなたからみたらおじいちゃんやおばあちゃんですね)との関係性に、問題があるものです。そしたら、おじいちゃんやおばあちゃんが悪いのかといったら、おじいちゃんやおばあちゃんも、その親(相談者からみたら、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんですね)との関係性に問題を抱えています。そしてまた、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんもその親との関係性に…と、キリがありません。

つまり、あの日、あの時、あの瞬間に、それぞれの親がそれぞれの子どもに何と言ったのか・どんな対応をしたのか、毎日のちょっとした言葉や行動と言った事象が、長い長い歴史の中で脈々と積み重なって、いま、あなたの問題が起こっているということなのです。

そしてまた、あなたの親子関係だけが問題の原因、というものでもありません。
あなたがどんな学校生活を送ったのか、どんな思春期だったのか、どんな恋愛をしてきたのか、どんな友人がいたのか…というような「どんな人たちと関わってきたのか」ということも、大きく関係してきます。
そして、あなたに関わってきた人たちにも養育者がいます。その養育者にも親がいて、さらにその親がいて…。その上、あなたに関わってきた人たちにも、学校生活があって、思春期があって、恋人がいて、友人がいて…そうやって、あなたに関わってきた人たちそれぞれ全員に、歴史と人生があります。

そうすると、もう数えることは不可能な数の莫大な事象が絡み合って、いま、あなたの問題が起きているということになります。そこには、あなたの手の及ばない、あなたにはどうすることも出来ないこの宇宙全体の大きな流れというものがあるのが、お分かりになりますでしょうか。
いくら科学の発達した世の中といえども、人知の及ばない物事は、まだまだたくさんあります。そしてこの宇宙全体の大きな流れというものにも、あなただけではなく、人は誰も介入出来ません。となれば、あなたのその問題は、あなたが産まれたときからこのタイミングで起きるように決まっていた、ともいえるのです。

だいたいと問題というものは、人間関係に根ざすものです。問題が起こったときに、
「あなたがこんなことをしたからこうなった!」
と、相手を責めてしまいがちです。ですが相手がやったことは、数えることは不可能な数の事象が脈々と積み重なって、起こったことです。宇宙全体の大きな流れの中で起こったことであり、相手の意思ではありません。だから、あなたに責められても困ってしまうんですね。

逆パターンで、問題が起こったときに、
「私があんなことをしたから…。」
と自分を責めて悔やむ人がいますが、これもまた、あなたがやったことは、数えることは不可能な数の事象が脈々と積み重なって、起こったことです。宇宙全体の大きな流れの中で起こったことであり、あなたの意思ではありません。
「いえ、こうすることを確かに私が選択しました。」
と言っても、それは違います。あなたの手の及ばない宇宙全体の大きな流れの中で、あなたがその選択をするように決まっていたのです。だから悔やむ必要はありません。

それなのに、問題の原因というものをどこまでも探って何とかしようとすると、どんどんどんどん遡って大きく広がってゆき、何がなんやら分からなくなって迷路にはまり込んでしまいます。そこで、
「なんだこりゃめんどくさいし無理!考えるのやめやめ!」
となればいいのですが、それが出来ないと、
「いったい何がいけないんだろう?」
とずっと考え続けることになってしまいます。そして考え続けた果てに、
「私はなぜ生まれてきたのか」
「私はなぜ生きるのか」
「私はなぜ死ぬのか」
といったような、いくら考えても答えの出ない答えを探求する作業に突入してしまうのです。そうすると、考え続けること自体に疲れ果ててしまい、こころは病みます。

さらに言いますと、あなたが問題だとしているものは、人知の及ばない宇宙全体の大きな流れの中でただポンと起こった【事実】です。それを、あなたにとって都合が悪いから「問題」としているだけです。だけど宇宙にとってみれば、あなたにとって都合がよかろうが悪かろうが関係なく、そうなるように決まっているからポンと起きるだけです。

こころが辛いときに、こころをラクにする考え方というものは世の中にたくさんあります。たくさんの考え方の中で何が効果的なのかは、人それぞれです。もちろん、問題の原因を探求していって「そうだったんだ!」と自覚するのが有効な場合もあります。ですが、
「問題は事実がただポンと起こっただけ。」
「それは宇宙の大きな流れとして、私が産まれたときから起きるように決まっていた。」
「この流れは、私も相手もどうすることもできなかった。だから私も相手も悪くない。」
「だったらじたばたしないで、この流れに身を任せてみよう。」
このような考え方が、こころをスッとラクにしてくれる場合もあります。そうしたら、
「今日は私に何が起きると決まっているんだろう?」
ちょっとワクワクしませんか?そして何かが起こったら、
「あーはいはい、今日はこれが起こったのね。そういうシナリオね。」
起こった事実に巻き込まれずに、こころに余裕を持ちながら俯瞰してみることができませんか?

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