会社や組織の在り方も【愛しか勝たん】のです

断言します。完璧な人間なんて居ません。
そもそも、何をもって完璧とするかは人それぞれですし会社それぞれですから、完璧という概念も曖昧なものです。

そして、完璧な人間なんて居ないから、人は必ずミスをします。
必ずです。

「我が社は、いまだかつて全くもって何もミスが起こっていません!」
なんて会社や組織を聞いた事がありません。
どこでも大なり小なり、何らかのミスとされる事象が日々起こっています。
こんな時に、ミスした人をとことんまで叱責して、強く内省を促し、本人に責任を問う。そのような会社文化の中で起こり得るのが「ミスした当人の自死」です。

ミスした自分を責めない人なんか居ません。
それが大きなミスであればなおさらです。
たとえ本人が、ミスを他人のせいにしているように見えたとても、それは人一倍自分のこころが傷付きやすいから、ミスした自分を認めることで自分を責めて、自分のこころが壊れてしまうのを守っているからなのです。

自分のこころの奥深くに入っていくことを「内省」と言いますが、あまりにも行き過ぎた叱責というのは、この内省を強く深く大きくしてしまいます。ですが、こころの奥深いところに入っていくというのは、本来とても危険な作業で、プロのカウンセラーであっても十分に気を付けて扱うところです。
なのに、只でさえミスした自分を責めている本人が、周囲からも叱責され、責任を問われ、内省を促されると、こころの奥深くまでひとりで入っていき、現実世界に戻れなくなってしまう場合があります。つまり、死を選ぶ、ということが起こり得るのです。

会社として、ミスに対する叱責内省は必要なのかもしれません。
ですがその前に、会社が本人に与えてあげなくてはいけないものがあります。それは
「人の優しさ」

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
そうやって、ミスした本人はずーっと自分を責め続けています。
だけど、そんな自分を何も言わずに助けてくれる人がいたとしたら。
「人って優しいんだ」
って感じるでしょう。
人の優しさは人の「愛」です。
その愛を感じられたら、役職とか、お金とか、成功とか、業務成績とか、そういう目に見えるものだけではなくて
「目に見えない部分で自分は評価されていたんじゃないかな」
って、感じることが出来るでしょう。そうしたら
「自分はここに生きていていいんだ」
って、生きることを選択できます。

そうやって、ミスした時に他人から優しさで救われた経験を持つ人は、誰かが自分と同じ状況に陥った時に、その優しさを今度はその誰かに還していくことが出来ます。つまり、会社や組織内で愛が循環していくのです。

だから会社や組織は、
「ミスした人も、ミスで被害を被った人も、どちらが優位でも劣位でもなく、人はみな対等である」
という意識を持つこと。そして
「完璧な人なんて居ない。だからミスは必ず起こる。だけど周囲のみんなが全力でフォローする。だから誰がどんなミスをしても大丈夫」
そういう文化を築くこと。それが、会社が社員を愛する、という姿勢です。

会社が社員に愛を与えれば、その愛に社員は応えようとするもの。そこから、会社としての懐の深さの成長と、器の大きさの広がりに繋がるのではないでしょうか。そして多くの社員が、そんな会社や組織を求めているのではないでしょうか。

いま、健康経営が強く叫ばれていますが
「愛しか勝たん」
その通りです。

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