私たちはひとつの事実に対して、人によってこんなにも違った受け止め方をするのです~生き辛さの背景にあるのは無価値かもしれません~
「起こった物事には良いも悪いもありません。それは単なる【事実】です。その事実に、良いとか悪いとかの意味を付けて反応しているのは、あなた自身なんですよ。」
とは、私がしょっちゅうカウンセリングでクライエントにお伝えしている言葉です。
人は、産まれ育った背景によって、
「何か物事が起こった時に、それに対してどういう反応をするのか。」
というパターンがだいたい決まっています。事実に対して良い意味付けをしがちな人なのか、悪い意味付けをしがちな人なのか、というのも、パターンのひとつです。
先日、娘が暗い顔で帰宅しました。
聞けば、駅の階段を昇っていたところ、自分が履いていたロングスカートの裾を踏んで転びそうになってしまった。そしたら、隣を歩いていた大学生ぐらいの年齢の男性2人組に笑われた、とのこと。
「ひどい!普通、転びそうになった女の子を見て笑う?!」
「私が笑われるような人間だからだよ!」
「私が変な人間だからだよ!」
と訴えながら、暗い顔で座っています。落ち込んでいる娘には大変申し訳ないのですが、
「うーむ…人の認知って面白いなあ。これほどまでに違うと、そりゃ生き辛いとか生き易いとか出てくるわなあ…。」
と、しみじみ考えてしまいました。
自分が履いていたスカートの裾を踏んで転ぶ、なんて、私にとっては日常茶飯事です。
その時にどう反応するかというと、
「危なかったあ!ロングスカート気を付けよっと。」
と思うぐらい。周りの人が笑っているかどうかなんて見てもいないし、なんならもっと笑われるような凄いこともやっています。例えば、
「履いていたスカートの裾(後ろ側)をストッキングのウエストに挟み込んでしまい気付かず、パンツ丸出しでオフィスを闊歩。注意される。」
「車の運転中、ウエストがきつくてスカートのファスナーを降ろしていたことを忘れてしまい、運転席から降りた瞬間にスカートが落ちる。近くに居た知らないおじさまに『いやあ、良いものを見せて貰った!ありがとね!』と感謝される。」
なんてこともやっています。これ、うちの娘だったら憤死ものでしょう。
だけど私は「恥ずかしかった。」ぐらいで落ち込まないんですよね。そしてすぐ忘れてしまいます。
「自分が履いていたスカートの裾を踏んで転び、笑われた。」
というのはただの事実ですね(まあ、男性2人組が本当に娘を見て笑ったのか、というのも私は疑問に思っていますが、それを娘に言うと怒られるので言いません)。
そしてその事実に「私が笑われるような人間だから」という悪い意味をつけて反応する娘と、特に何の意味も付けず反応しない私。2人のこころにどんな違いがあるのでしょうか?
娘が抱えているのは「無価値観」です。
無価値感を抱えている状態というのは、自分が自分のことを「私は価値の無い人間なんです。」と、無意識のうちに思い込んでいる状態のこと。
「私は価値の無い人間だから、他人に笑われるに違いない」つまり
「私は価値の無い人間だから、バカにされるに違いない」
と、自分でも気付かないうちに思っているのです。
では、なぜ娘は無価値観を抱えてしまうようになったのでしょうか?
過去、専業主婦時代の私は、自分の子どもに対して大変厳しい母親でした。
私自身が無価値観を抱えていたこともあり、娘を世間一般でいうところの「優秀な子」に育てることで、私自身の価値を感じようとしたのだと思います。
「それは本当に娘が望んでいることなのか。」
なんて考えようともせず、こうあるべき、という私の気持ちを押し付けてきました。
自分の気持ちを親に大切にして貰えなかった子どもが、自分自身に価値を感じなくなるのは、当然の結果です。娘は、勉強は出来て優秀だけれど、自分の気持ちを大事に出来ない、自分の気持ちを主張出来ない「大変おとなしい子」に育ちました。
そして娘は酷いいじめを受けます。
「おとなしくていつも一人で本を読んでいるから」という理由でした。
いじめられた経験もまた、自分のことを「いじめられるような価値の無い人間」と、さらに思い込んでしまう出来事になってしまいました。
このように、生まれ育つ中で無価値観を抱えてしまうような経験をすると、大人になってからも、
「起こった事実に対して悪い意味を付けてしまう」
というパターンを、繰り返してしまうのです。
カウンセリングでは
「無価値観を抱えてしまうきっかけとなった、こころの傷を癒やす」
「無価値観を手放す」
「自分の価値を感じる」
といったような手法を取ります。
ですが、無価値観の大元の親自身が、親の無価値観を手放すことで、子ども自身もまた、子どもの無価値観を手放していける場合があります。事実、私が心理学を勉強し、私自身の無価値観と向き合い始めると、娘自身もイキイキと変わり始めたのです。そしてついに、
「ママ、いつも私に尽くしてくれてありがとう!ママのこと好きだよ!」
なんて言葉も頂けるように。嬉しい…それでも、今回のスカート事件での娘の様子は、
「心理学を勉強して無価値観を手放したと思っていたけれど、私もまだまだ無価値観を抱えているのかもなあ。」
と、気付かされた出来事なのでした。