悩みを友人に相談するのとカウンセラーに相談するのと、何がどう違うのでしょうか~カウンセリングは危険?~
例えば、皆さんが友だちからこんな相談を受けたとします。
「仕事も恋愛も何もかもうまくいかないよ。もう死にたい。」
さて、皆さんはどう答えるでしょうか?
「な~に言ってるの。」
「死んじゃだめだよ。」
「大丈夫だよ、一緒に頑張ろう。」
「まあ、生きていればそういう時もあるよ。」
たぶん、こんな風に励ましたり、適当にごまかしたり、冗談を言って和ましたりして終わるのではないでしょうか。それが普通の人間関係での会話です。私たち人間は、普段の生活の中で誰かの話を聞くとき、こころの中の安全弁というものが上手に働いて、相手がどんどんこころの深みに入ってしまって危険域に入るのを防いでいるのですね。とても上手くできたこころの機能です。
カウンセリングは【普通に話を聞く】というのとは違います。
例えば、私はクライエントにこう答えます。
「ああ、死にたいと思ってらっしゃる…」
そうすると、対話が始まります。
そして、だんだんとクライエントのこころの深いところに降りていきます。
「こころの深いところにグッと沈み込んで、その沈み込んだところでぐちゃぐちゃともがいたら、もう一回立ち直って浮上してきましょう。それをカウンセラーと一緒にやりましょう。」
それがカウンセリングです。
カウンセラーがただ話を聞いているだけみたいに見えるけれど、カウンセラーも一緒に、クライエントのこころの奥に沈み込んでいるのですから、エネルギーを最大限に使って、もがいているのです。
だけど、沈み込んだはいいけど、そのまま浮上してこれないことだってあるわけで、そこがカウンセリングの危険な面でもあります。どこまで沈むのか、どこで辞めるのかを、カウンセラーがきちんと判断しなくてはいけません。そういうスキルのあるカウンセラーにつくことが大事になってきますし、だからこそカウンセラーも日々研鑽しているのです。
さて、物事には必ず良い面と悪い面の両方があります。
ですから、自分にとってものすごく意味のあるものって、自分にとってものすごく危険なものでもあるのです。
友人に相談すれば、危険域には入らないけれど、自分にとってものすごく意味のあるものは見つからないかもしれない。
カウンセラーに相談すれば、しんどいし辛いし危険な面もあるけれど、自分にとってものすごく意味のあるものが見つかるかもしれない。
そう考えて、どちらを選んでも良いのです。決めるのは皆さん自身です。
参考文献:【カウンセリングを語る】河合隼雄 著