未来の自分が思い描けなくて苦しいとき~いまを生きるって?~

朝起きてベッドから降りたあなた。さっきまでベッドで寝ていたあなたはもう過去です。
出勤するために駅に向かって歩くあなた。さっきまで家にいたあなたはもう過去です。
午前中仕事をして昼食を食べるあなた。さっきまで仕事をしていたあなたはもう過去です。

もっと細かくみていきましょう。
右手をじっと見てください。そして今度は左手をじっと見てください。
いま、左手を見ているあなた。さっきまで右手を見ていたあなたはもう過去です。

これが
「人は過去でも未来でもない、いまこの瞬間しか生きられない。」
ということです。

「将来、何をしたらいいのか分かりません。」
「この仕事を続けていっていいのか分かりません。」
と悩む若者がいます。「将来自分はどうなりたいか」という自分の未来像を決めて、一直線にそこに向かう生き方もいいのですが、なかなか難しいものです。
未来像が決められないのならば、未来ではなく「いま、自分は何がしたいか。」を考えて、いましたいことを毎日積み重ねていった結果として「なにものかになった」という生き方もあります。

虫が大好きで、誰に笑われても誰に止められても、夢中になって毎日虫の勉強をし続けた。そんな人が昆虫学者になれるのです。
野球をするのが大好きで、誰に強制されなくても毎日野球三昧で、ひとりでも練習し続けた。そんな人がプロ野球選手になれるのです。
とにかく絵を描きたくて、たとえ教室でひとりぼっちでも、誰も見てくれなくても、毎日絵を描き続けた。そんな人が漫画家になれるのです。

「いまこの瞬間に、自分がやりたいことをやり続けた結果そうなった。」
それが過去にも未来にも生きられない【人】というものが、生きていく上での自然な流れではないでしょうか。それに「いま、その分野において情熱を持って行動し続けていく」ということができないのなら、あなたにはその分野の才能は無いということです。

また、
「定年が見えてきて、何を生きがいにしていいか分からなくなりました。」
という中年の方がいます。「いい人と結婚しよう」「子どもを持とう」「お金を稼ごう」というような、社会の中でどう生きるかという問題は、青年期の課題です。その課題が達成されてしまうと、中年期以降に、
「家族関係はこのままでいいのだろうか?」
「夫婦関係はこのままで良いのだろうか?」
「自分はこのままでいいのだろうか?」
「これからどう生きたらいいのだろうか?」
と思い悩む時期がやってきます。この場合でも、未来の自分を思い描くことにあれこれ苦心するのではなく、
「いま、自分は何がしたいか。」
を考えて、いましたいことを積み重ねていくのが良いように思います。その結果として、
「悩まなくてもそのままで良かったです。」
「もともと自分が好きだったことをやれるようになって、楽しくなりました。」
「また別のなにものかになりました。」
となるものです。

一瞬一瞬のこまぎれの「いまこの瞬間」の中で、人は生きています。だから、未来像が思い描けなくて苦しい時は、とにかくいまこの一瞬を自分はどうしたいのか、と考えて生きることに意識を向けるとよいのです。

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